どうも、平凡家庭の大黒柱こと最強の凡夫です。
先日は私が投資と出会うまでの話【20代・遭遇編】の記事を公開しましたが、今回はそれに続く【30代前半・契機編】と題して話をさせていただきます。
ドラッグストア退職
ドラッグストア企業で店長として仕事一筋、自分の事は後回しの人生を送っていた20代ですが、そんな中で自分も確実に年を重ね、今まで全く気にしていなかった自分の将来の事や、自分が店長として長年くすぶっている間に同期がエリアマネージャーに上がっていく現状に焦りを感じていました。
自分はこのままで良いのだろうか?若い間は良かったが、これから結婚も視野に入れなければいけない年齢だが、朝から晩まで仕事をして、引越しを伴う転勤も頻繁にあるこの仕事ではちょっと無理があるのではないのか?
今の仕事は自分には合っていると思うし、やる気はあるから、エリアマネージャーやバイヤー等の役職に上げてもらえるなら頑張りたいが、声がかかる気配を感じない。
当時勤めていた会社はもともと仲良し人事の傾向が強く、さらに社会的な目を意識しエリアマネージャーやバイヤーに女性枠というのも設けられていました。
そういった方針はもちろん良いことなんですが、自分を犠牲にして仕事をしていた当時の自分にはやはり納得がいきませんでした。
将来への不安と会社への不満が積み重なり、2013年に新卒から約10年弱勤めたドラックストアの会社を辞める決心をしました。
退職後の確定拠出年金は
やめた会社は確定拠出年金制度であったため、退職後は個人型に移行して自分で管理することになると説明されました。
当時の私はとりあえず面倒くさいので運用指図者になり拠出を中止し、定期預金型の商品100%で設定しました。
この頃の私は将来の事に不安を持ちながらも、まだまだ投資に目を向けるほどの環境にはありませんでした。
将来の事に不安をもって会社を辞めたのですが、それは何となくの決断であり、結局まだまだ今現在の自分にしか関心が無かったということですね。
初めての転職
転職活動を始めるのですが、ドラッグストアを辞めて、また違うドラッグストアの会社に転職すると意味はないので私はできれば別の業界での転職をしたいなぁと考えていました。
でも転職活動をする中でやはり、ドラッグストアかその他の小売業しかできる気がしないんですよね。
しかも年齢は30歳。今から考えると30歳と言えばまだまだ若いですが、当時は30歳だと年齢の時点でマイナス要素で今から未経験の業界の仕事はできないし、そもそも採用もしてもらえないと考えていました。
そして私が選んだ道はホームセンターの子会社でホームセンターの中のテナントとして運営しているドラッグストアでした。
2013年 ホームセンターの子会社のドラッグストア企業に入社
前の会社で自分を犠牲にし続けてきた私にとって転職先の企業に求めるのはワークライフバランスでした。
ドラッグストアの閉店時間が22時が基本なのに対してホームセンターの閉店時間は20時、早い店舗では19時30分でした。これは私にとってはとても魅力的でした。
年収は以前より大幅に下がりましたが、ワークライフバランスを重視しこの会社に入社させてもらうことにしました。
そして私が入社前に誓ったことは「この会社ではやる気を前面に見せないで淡々と仕事をしよう。この人は別にやる気がある人ではないと思われるようにしよう!」です。
前の会社で自分を犠牲にしてまで仕事を頑張る人間よりも、自分を守りつつ仕事はそれなりに頑張る人間の方が報われるというのが身に染みていたんですよね。
しかしと言うか、やはりと言うか、人間性というのはそう簡単に曲げられないもので、結局この会社でも私は自分を犠牲にして会社に尽くす道を選ぶことになるのです。
会社全体の人員が少ない中、退職者が出て、私はその穴を埋めるべく入社半年で店長を任されます。
そして私は前の会社の時ほどではありませんが、やはり長時間労働、休日返上で働きます。今まで自分がやってきたことが間違っていないと思いたかった、そして今まで自分が積み上げてきたキャリアを堅持したかったという欲求もあったのだと思います。
そんな頑張りを見せていた私は基本イエスマンということもあり、その会社の社長にはある程度気に入られていました。
再び投資との再会
この会社でも投資に関わることに出会います。
持株会です。
持株会とは会社の福利厚生の一種で、給与から天引きされ自社の株を従業員が定期的に購入できる制度です。
私は当時持株会について全く理解していませんでしたし興味もありませんでしたが、店長になったタイミングで総務の人に「持株会に入ってほしい。店長はだいたい入っています。」と言われ、イエスマンの私はとりあえず二つ返事で持株会に加入します。
前の会社の確定拠出年金に続き、この会社でも意図せず、投資と関わることになるのです。
しかしながら、私は次の日には持株会の事も忘れ仕事仕事の毎日を過ごすのです。
人生の転機 結婚 子供の誕生 転勤
まず私に最初の転機が訪れます
2015年 結婚。
私は現在の妻と結婚します。とりあえずこの頃は結婚はしたと言っても、もともと同棲をしていたこともあり今までとあまり状況は変わることはありませんでした。
2015年 妻妊娠。
妻が妊娠し、私もいよいよもって将来の事も真剣に考えなければいけない状況になってきます。
2016年 引越しを伴う転勤の決定。
もうすぐ子供が生まれるというタイミングで私は車で7時間程の距離の離れている店舗へ転勤を言い渡されます。
社長としても私は仕事は頑張るし、基本イエスマンなのでこの転勤もお願いしやすかったのでしょう。
転勤先の店舗は系列店の中でも売上1番店であり悪くはない話だとは思いながらも、子供が生まれる今のタイミングは悪すぎるなという葛藤がありました。
妻に相談したところ、「正直困るが、転勤になるならどこにでもついていく」と言ってくれ、転勤を受け入れることになりました。
2016年7月 子供誕生
ついに子供が生まれます。元気な女の子でした。妻は里帰り出産をしており、私は転勤前に1度だけ会うことができました。
2016年8月 転勤 引越し
子供が生まれた1ヶ月後、私は転勤先の地へ引越しします。妻は出産後3ヶ月は実家で子育てし、その後、子供を連れて転勤先に来ることになります。
こうやって改めて自分の人生を思い返してみると、20代からこの頃までは会社に本当にいいように使われていたなぁ。もっと自分と家族を大事にすればよかったな、と思います。
想像を絶する子育てと仕事の両立の難しさ
そんな自分を犠牲にする働き方をしてきた私ですが、これまでは独身、結婚しても子供がいない状態ということで何とか普通にやってこれました。
しかし子育てが始まったことでそれは一変します。
近くに頼れる親もいない、気軽に話せる友達もいないそんな地で私達夫婦は子育てをしています。
そして出産したばかりということもあり妻はホルモンバランスの乱れもあり気分の起伏も激しい状態です。
その頃は本当に妻と喧嘩ばかりの毎日でした。仕事に行く前に喧嘩、仕事から帰ってから喧嘩。
それまで、仕事一筋で生きていたせいもあって、当時の私は家庭ではろくに役に立たないダメ夫でした。
何とか妻の機嫌を取ろうとトイレ掃除などをやっていましたが、それはあくまで自発的というよりも妻へのご機嫌取りという感じで、自分が家庭のためにやっているんだという感じではなかったですね。
毎日妻からは家庭のための事をするよう要求はされますが、私自身はやっぱり仕事が忙しく、その求めに応じることはできませんでした。
そんな過酷な毎日を過ごす中で、小売業という仕事に限界を感じていきます。
小売業界の仕事を辞めることを決意
転勤してきてから1年程して妻にはママ友もできました。そして、周りのママ友たちが次々に住宅を購入していきます。
そうなると妻も家が欲しいと言い出すのは当然の流れで、私自身も「ついに来たか」という感じです。
しかし、私の従事している小売業の仕事は常に転勤と隣り合わせの仕事であり、住宅の購入なんてとても考えられませんでした。
しかし、私も仕事が忙しく妻に何もしてあげられていない手前、マイホーム購入の夢ぐらいは叶えてやりたい、と思い、半ばやけになって住宅を購入する方向で考えることに決めました。
そして住宅購入の件を妻のお父さんに相談します。(私は妻側に婿に入っています)
するとお父さんからは「今の仕事を辞めてこっちに帰ってきて家を建てたらどうだ?仕事なら俺もさがしてやる」と言われます。
そして私は会社を辞め、長年身を置いてきた小売業界を辞める決心がつきました。
私達夫婦には家庭を存続させるにはもうその選択肢しかありませんでした。
次の仕事決定 退職
お父さんの紹介もあり次の仕事は見つかりました。(詳しくは次の記事にてお話します。)
2017年末にその時勤めていた会社の社長に、年明けに退職する旨を伝え、了解を得ます。
2018年 1月 ホームセンター子会社のドラッグストア退職(小売業界から完全に身を引く)
人生初の証券口座開設
退職する際、持株会の説明を見たところ、保有株数が100株以上の場合は野村證券の証券口座を開設してそこに株式を移管する必要があるとのこと。私の保有株数はぎりぎり100株いっていたので、証券口座を開設することに。
証券口座なんて開設したこともないし、面倒くさいし意味わからないしでげんなりしました。
分からないなりに自分で特定口座の源泉徴収ありが良いということを調べて開設の処理をしました。
これがきっかけで私は35歳にして初めて証券口座を開設しました。
この頃はまだまだ投資に興味がなく仕方なく開設しただけですね。できることならこんな面倒くさいことやりたくないというのが正直なところでした。
野村証券に関しては「それ野村に聞いてみよ~♪」のCMのキャッチフレーズは耳に残っていて、なんとなく安心できる証券会社だなという印象だったのを覚えています。
何も知らない初心者がそういう印象を持つのですからやっぱりCMのキャッチフレーズって重要ですね(笑)
地獄への助走
晴れて小売業界から足を洗うことに成功した私ですが、これが更なる地獄への始まりであることはこの頃は知るよしもありませんでした。
そして、その地獄の日々がきっかけとして、今までサラっと通り過ぎていた投資との出会いという点と点が線でつながっていき、本格的に投資と向き合うことになっていきます。
【30代後半・覚醒編】はまた後日に記事を公開させていただきます。
最後までお読みいただきまして誠にありがとうございました。
では、また。